犯罪者は普遍的であり社会に内在している
自身が何かしらの犯罪の被害に遭うと思って日々過ごしている人間は少ないことだろう。
それは、日本が他国と比べ相対的に平和ということであり、何の根拠もない確証バイアスがかけられた結果、自分が犯罪に遭うわけがないと無条件に信頼していることであり、そもそも犯罪者なんて身近にいないと犯罪者を特別視していたりすることが主な原因であろう。
だがしかし残念ながら犯罪者というのはそこまで特別な存在でなく、確証バイアスはバイアスでしかなく、平和であることと犯罪が無いことは繋がらないのだ。
犯罪者と非犯罪者の違いは些細なものでしかない、犯罪者は全員極悪な思考をしているわけではなく、大多数の非犯罪者と同じような思考をして生活している。
ただ犯罪に関するその一点でのみ多様性があったかないしはリストと成果の天秤に少しばかしバイアスがかかった結果非犯罪者と違う側へつまりは成果の方が大きいと判断出来る方へ傾いてしまっただけなのである。
今非犯罪者である我々とて犯罪を犯すには些かリスクが大きすぎるがために忌避しているだけであり、仮にリスクが消えたとしたらその途端犯罪は増加することだろう。
まぁ世間体を気にされる皆様方に於かれましては目に見えない犯罪が増えるくらいでしょうが。
結局何が言いたいかと言えば、報道の言うような犯罪者は極僅かしか存在せず、創作のような根っからの敵は存在しないということだ。
故に存在しない犯罪者を警戒することは全くの無意味であり、そんな無駄なことをするよりも普段接している人間を警戒するべきだというのが私の主張だ。
相手が始めから害意を持って近づいていくるとは限らず、また害を為しながらも害意を示すとは限らない。
最初から害意を持っていたとしてもそれを引っさげて「私はあなたを害しに着ましたよ」などとは言うはずもなく持っていなかったとしてもどこかのタイミングでそれを持つ可能性は存在する。勿論その間に害意を示すことはないだろう。
結果として存在しない犯罪者を警戒し続ける盲人は、気がつかないうちに害されるわけだ。
今回、この記事を書いたのはある動画を見てのことだ。
動画では、まだ若い女子大生がファミレスで男子大学生に胸を揉まれている様子が撮影され、周りの大学生はその状況を嗤っていた。
彼女の表情や声の色からは表面的には事を荒げずに収めようとしている意思が感じ取れ、その奥には恐怖と諦めが見れる。
Twitterでは、嘘か真か彼女はその集団で性処理を行う所謂肉便器と書かれていたりもした。そうでなくともこの動画だけでも異常の一言であるのだが……。
仮に時間を遡り彼らとの関係が始まる前の段階で彼女にこのビデオを見せたとして彼女はそれを望むか、あるいは許容するかと尋ねても彼女はそれを許容するといった答えは返さないことだろう。
ではなぜ、許容しないはずの状態になっているのかと言えば、彼らを警戒しなかった彼女が彼らによって日常的に毒を盛られ麻痺した結果と断言出来る。
初めは彼女にとっても望ましい関係だったのだろう。そこから一歩ずれても許容出来る望ましい関係だった。そこから更に一歩ずれても。
断続的であれば許容出来ないことも連続的に毒のようにじわじわと蝕まれると拒絶するタイミングを失う。
勿論、いつだって拒絶すればいいのだ。
「嫌だ」と一言言えば良い。
ただその一点のみを除けば望ましい関係であるのにそれを自身で拒絶し壊すのかという自責が生まれる優しい人間というのは一定数いる。
これくらいならと譲った一歩。
今更と許容した一歩。
結果として自身でもなぜそこにいるのか分からないような状況の出来上がりである。
今更彼女が「嫌だったんだ」と言ったところで衆目に晒されたからそう言っているだけだと捉えられることもあるだろう。発言こそ保険で実際はそうである可能性もなくはない。
彼女にとっては重すぎる結果であろうがこれが無警戒の代償であり、優しさの附けだと私は思う。
甘い幻想に囚われず日々摩耗する辛い生活に身を置かれることを私は願う。