機械による自動化とそれに伴う貧富の格差の極大化
今日日、機械による単純作業の自動化が行われることは当たり前のこととして捉えられるようになった。
私自身、プライベートにpcで行う作業も単純なものはさっさと自動化してしまっている。
では機械による自動化はどこまで進むのかと考えると、終わりはないように思える。
ただしそれは費用対効果を無視した場合といった注釈はつくことになるが。
昨年にはGoogle DeepMindにより製作された囲碁AI『AlphaGO』が世界最強の棋士を打ち破ることでAIのひいては深層学習(Deep learning)の存在をこれでもかと示した。
囲碁という限りなく自由度の高い人間優位とされてきたもので人間を打ち破ったのだ。
その衝撃は計り知れない。
コストに目を瞑り、行えるかどうかといった一点にのみ絞れば大半の事は人間の代替として働くことが可能なのは火を見るより明らかなことだろう。
そしてその色は今後ますます強くなっていく。
結果として自動化の進んだ近い将来に生まれる社会では、我々人間のこなせる仕事は、
1. 機械で自動化出来ない仕事
2. 機械で自動化するにはコストが嵩む仕事
の2択となる。
更に時代が進むに連れ1の範囲は縮小し人間の仕事として話せる分野は2と言ってしまっても差し障りないことになるだろう。
結果として、
機械を所持する人間の取得は極大化しそうでない人間の取得は限りなく0に近づくことだろう。
人間の数を賄う生産を行うのに同じ数の人間が必要な時代は終わりを迎えるのだ。
正確に言えばそんな時代は遠の昔に終わっているのだが、それが目に見える形となってすぐそこまで迫っている。
そしてこれは、第一次産業だけの話ではない産業全体に対して言えることだ。
そうした時代になった時、我々は遂に問われるだろう。
「人間の価値とは何か」
と。